本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

佐藤厚志『荒地の家族』 〜想像力は人を救うのか〜

元は鬱蒼とした松林であった野を新しくつるりとした道路が切り裂いている。荒涼として寒々しく、無機質な海辺を雨が塗り込めて想像力を殺す。

 

『荒地の家族』の主人公坂井祐治は宮城県の亘理で生れ育ち、地元で一人植木業を営んでいる。震災時、自身も含め家族の人的被害はなかったものの、妻晴海は、その二年後流感にかかり亡くなってしまう。その後再婚した知加子は家を出て行き、今は多感な時期に入り始めた小学六年生の息子啓太と母和子の三人暮らしだ。

 

家族は無事だったものの、震災は故郷に多くの被害をもたらした。年月が経ち、復興は進んでいるが、新しく様変わりした町は、様変わりしたことによって震災当時や以前の記憶を誘発させる。

そんな町を通り抜け、祐治は時たま海を見に行く。海は全てを攫っていった元凶であるのにも関わらず。引用はその場面からで、祐治は海に圧倒されているかのようにみえる。

 

祐治がわざわざ海を見に行くのは想像力を殺されにいくためであるかのようだ。ありえたかもしれない過去や現在を想像し、苦しむことから逃げるために。悲劇の真っ只中にいる時、想像力の働く余地はなく、ただ苦痛が、苦悩があるだけで、希望もなければ悔恨もない。

 

とはいえ、祐治は雨の日に啓太を学校まで送りに行く際、啓太が嫌がるにも関わらず、仕事用の軽トラで昇降口ギリギリまで乗り付け、生徒の注目を浴びさせてしまったり、家を出て行きその後会おうとしない知加子の職場まで何度も押しかけたりと、元々想像力がある訳ではない。

 

想像力があったせいで悔恨に苦しんでいたのは明夫という祐治の幼馴染だ。震災前、自身の酒癖のせいで夫婦仲が上手くいかず、妻は子を連れて実家に帰り、その直後津波に巻き込まれてしまう。自身の酒癖のせいであると感じつつも酒を飲み続けることをやめられず、彼はありえたかもしれない過去と現在に囚われ今目の前にある現在を生きることから逃げている。酒をやめていれば妻子は津波の被害に合わなかったかもしれないというありえた過去、今も家族一緒にいたかもしれないという想像上の現在に囚われ、今ある現在から逃げている。

痛みで心が麻痺している間は立ち直る努力をせずにすむ。

自分を痛めつけるように祐治は海を見に行き、明夫は酒を飲む。

 

年月が経つにつれ復興が進み、震災の記憶が薄れていくことを忌逃するように海を見にいくそんな祐治でも、時間が持つ治癒能力には抗えないのか、徐々に想像力が芽生えていく。避難する車列のずっと後ろにいた人についてや、知加子が何に苦しみどう自分に助けを求めていたのかに想像が働くようになっていく。

悲劇にただ圧倒され言葉をなくし立ち尽くす時を過ぎ、ありえたかもしれない過去や現在を突きつけられ、それでも今しかない、今目の前にあるたったひとつの現在を生きることができるようになって初めて、人は悲惨な体験から立ち直ることができるのではないか。

最後の場面で祐治が目にしたものは、今現在の自分の姿であり、今目の前にいる人だった。