本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

連作短編の面白さと物足りなさ。

今読んでいる前田愛『文学テクスト入門』に、小説を絵画を鑑賞するように読む読み方についてと、江戸時代は視聴覚メディア時代だったということが書かれていて、それを読んで葛飾北斎富嶽三十六景って江戸時代の連作短編集じゃないか!と思った。

 そんなに昔から人々は連作短編集的なものが好きだったとは。

 

目次

 

 

 

富嶽三十六景と連作短編

富嶽三十六景人気の背景には人々が持つ、「自分が見ている世界(富士山)を別の角度から見たらどんなものが見えてくるだろうといった興味」や、「見たことがないものが見てみたい。だけどその見たことのないものは自分の日常に根ざした見たことのないものがいい」といった覗き見願望があったと思う。

 

その富嶽三十六景人気の理由と、連作短編集の人気の理由は同じものなんじゃないか。

 

長編小説でもなく短編小説でもない連作短編集には独特の楽しみがある。

それは一個一個別の話として成立するものが、緩やかに繋がっていく様をみる快感や、自分だけがその連続性やその世界の全体像を把握している密かな愉悦だ。

中でも、まったく関係がなく孤立しているようにみえる人物出来事、物語も緩やかに繋がっていると思える安心感、連帯感がいちばんの楽しみなのではないか。

 

連作短編集は確かに面白い。連帯感や世界像をまるっと把握できている特別感がある。

でも1人の人物の内面を書ききった長編小説よりもなんだか浅い感じもする。

小説が浅いというよりも、読み心地が浅く、小説世界に浅くしか踏み入れていないような。そんな感じがしてしまう。

 

最近もあったことだけど、好きな作家さんの新刊が連作短編集だった時にはちょっと複雑な気持ちになってしまうのだ。

 

その作家さんの作品世界に広く浅くしか入れないもの足りなさを予感してしまうというか。物語の繋がりや広がりを味わうのも悪くないのだけど、もっと大きくて深い得体のしれない何かに圧倒されたいという願望も一方ではあって。

 

それは富嶽三十六景の一枚一枚をただ眺めているだけの感覚に近い。

小説を読んでいるというか一枚の絵を眺めているだけのような。

一枚一枚の絵に富士山が描かれているように、それぞれ繋がりは感じるのだけど、見ている自分はあくまで観察者であり、その世界の住人にはなれず、深くは踏み行っていけないような。

 連帯感もある一方でその連帯に入っていけない疎外感もあるといったような…。

 

 

移人称小説

そんな物足りなさを感じてしまう連作短編集と、物語世界に深く入っていける一人称長編小説の間に置けそうな小説様式に移人称小説がある。

2016年に芥川賞を受賞した滝口悠生の『死んでいない者』がそう。

この作品が芥川賞を受賞した頃は、この移人称小説というものをよく見かけた。連作短編集が流行った後のことだったと思う。

 

『死んでいない者』はある一族に属する人物たちがそれぞれ語り手で、断続的に語り手が変わる書き方ではなくて、いつのまにか語り手が変わっていく書き方をすることで、その一族や土地の描写をしていく。

よくある連作短編集の登場人物たちのように全く繋がりがない人たちや、緩く繋がっている人たちをそれぞれ語り手にするのではなくて、血縁や地縁の繋がりが濃い人物たちを語り手にすることによって、それぞれの語り手の背景にある家族関係や土地の風土が色濃く浮かび上がり、小説世界へ深く入っていける感覚がある。

一人称小説よりも、世界像が少し広く多様で、連作短編集のような観察者にとどまる感覚ではなく小説内部に深く入っていくような感覚がある。それが移人称小説だと思う。

移人称小説が流行ったのは純文学界隈で、エンタメ小説で流行った連作短編の手法を純文学に取り入れてみるとこうなるだろうなぁというのがこの手法だ。

作者側にその意図があったかどうかはわからないけれど…。

この移人称小説をエンタメ小説作家が取り入れるとどんな作品になるのだろう。

 

 

エンタメ移人称小説

流行り始めた当初ほどではないにせよ、エンタメ小説界隈ではまだ連作短編はまだまだ根強い人気がある。

単純に読みやすいということもあるだろう。短編のようにまとまった時間がなくても読めて、でも長編を読んでいるような読み応えを味わえる小説は、忙しくて本が読めない人や本を読み続ける集中力がない人には痒いところに手が届くような存在だろう。

でもそればかり読んでいると物足りなくなってくる。

やっぱり観察者に留まり続ける物足りなさがあると思うのだ。

 

短編小説と長編小説のいいとこ取りをした小説が連作短編集だとしたら、連作短編集と長編小説のいいとこ取りをしたのが、移人称小説ではないか。

移人称小説は今ではもうみなくなったけど、それは純文学で根付かなかったというだけで、エンタメ小説で書かれたらもっと間口が広がったかもしれない。

エンタメ小説で移人称小説が書かれるようになったら、もっと小説の楽しみ方が増えるのではないか。

小説ってもうあらゆる手法が試されていて、もう出尽くした感があるけど、まだまだ色々な可能性が残されているのではないか。

エンタメ移人称小説読んでみたい。

 

おわりに

Jpopの歌詞にも「君はひとりじゃない」というフレーズがやたらとでてきて、そんなにみんなひとりが怖くて繋がりや連帯を求めているのか…と食傷気味になる時があるけど、その気持ちもわからなくはない時もある。

そんな気持ちを多くの人が持っていて、今も昔も持っていて、そんなところに富嶽三十六景の人気の秘密や連作短編集の人気の秘密があるのだ。

 

 

文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)

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死んでいない者 (文春文庫)

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  • 発売日: 2016/10/12
  • メディア: 文庫
 

 

↑わたしが1番好きな連作短編集です。