「明滅」 彩瀬まる
今村はなんだか拍子抜けした気分だった。こんな、あまりに個人的でどうしようもない感情を吐露して、自分は一体どんな華々しい返答を妻に期待していたのだろう。子供じみていると思いながらも、胸の一部が皺まみれになってしぼんでいくのを止められない。
こんな感覚はどうせ理解されないとわきまえて、友人にも家族にも、誰にも言わずに長い時間を生きてきた。それなのになぜかほんの一瞬、まるでこの大雨に唆されたかのように、心を締めてきた箍が緩んでしまった。この冷たく重い厄介な泥を、妻になら打ち明けても良いような、晒しても悲しくならずに済むような、そんな馬鹿げた期待を抱いてしまった。
彩瀬まるさんの短編集『朝が来るまでそばにいる』はもう何度も読んでいるんだけど、中でも「明滅」は読むたびに同じところで胸が苦しくなる。
(「君の心臓をいだくまで」もそうだけど…。とくに「それぞれのどうしようもない夜へ帰っていく」の一文があるあたりなんかもう…)
今回はこの「明滅」の引用した部分について石井ゆかりさんの『愛する人に。』も引用しながらぐだぐだ書いていきたいと思います。
差し出してしまった後悔と焦燥
彩瀬さんの小説の中には、他者の無理解に傷めつけられてしまうかもしれない苦しみや暗い気持ちを抱える人々がでてくる。
彼ら彼女らは、そうした暗いものを他者の理解を拒否して一人の内に抱え込んでいたり、他者に優しく触れてもらえることを期待しておずおずと差し出そうとしていたりする。
長編小説の『やがて海へと届く』もそうだし、連作短編集の『神様のケーキをほおばるまで』にもそんな人はでてくるのだけど、「明滅」はそんな彩瀬さんの作品の要素が濃縮されている一編だと思う。
先に引用したのは「明滅」の始まりの部分。
その場面で今村は中学生の頃に経験した出来事と、そこから変わってしまった自分についてまるで口が滑るように妻に話すのだけど、思ったように伝わらない。今村にとってはとても切実な思いだったのだけど、伝わらずにビスケットのくずをさらりと払うようにあしらわれてしまう。
今村が感じている、普段なら誰にも話さないこと自分の中に小さく折り畳んで慎重にしまっているもの、誰の理解も声も視線も届かない所にあるだろうものを、ふいに無防備に押し出してしまった時の後悔と、晒し出してしまったものをもう取り戻せない焦燥とが胸に迫ってくるこの場面は、読んでいて胸が苦しくなる。
そこがこの短編の終わりなのではなく、むしろこのシーンは冒頭部分で、ここから物語の続きが展開されていくとわかってはいるのだけど、何度読んでもここで苦しくなってしまう。
外皮を破り無力を差し出す
私の好きなエッセイに占い師の石井ゆかりさんが書いた『愛する人に。』という本がある。
その帯には「恋愛エッセイ」と書いてあるけど、私には恋愛に限らず様々な人間関係について当てはめることができそうな人の心について心との付き合いかたについて教えてくれる大切な本だ。
bookbookpassepartout.hatenablog.com
そこにはこんなことが書かれている。
恋は、どんな恋でも、
自分の心を外界から隔てる皮が破れて、相手のほうに心が手を伸ばすようなできごとです。
恋を失うことは、
伸ばした手を切断される、ということです。
どんなに優しく断られても、拒絶は拒絶です。
だれかの心と融合しようとした思いが断ち切られたら、
文字通り、体の一部を失うほどに、痛むのです。
「抱きしめてほしい、優しい言葉をささやいてほしい」
というのは、一つの「無力」です。
この「無力」に相手が気づいて、
そこに思わず手をさしのべてくれたら
それは「愛」と呼べるかもしれません。
気づかないまでも、
聞かされたときそれを叶えたいと思ってくれるなら
それは「愛」だと思います。
でも、あなたの「抱きしめてほしい」という一つの無力に、
相手がどんな形でも「応えたくない」のだとしたら、
それはとても悲しく、不幸なことだとおもいます。
あなたの無力が、相手の愛を引き起こさないで、
そのままそこに
無力として投げ出されてしまったことになるからです。
今村の心に起こったのはまさにこうしたことだったのだろう。
胸の底にこびりついて離れないトラウマだとか、簡単には人に話せないちょっと重い暗い感慨のようなものって、そもそも誰にでも話せることではない。
ひょっとしたらわかってくれるかもしれない、ひょっとしたら受け止めてくれるかもしれない、そうあって欲しいと思うからこそ話すものは、普段胸の暗部奥部にしまっているものだから、それを誰かに話そうとすることは、無防備な所を曝け出すということで、だからこそ少しも理解がえられないと胸がちぎられるような思いがしてしまうのだ。
本当に理解してもらいたいと思うのなら、無防備に曝け出して致命傷を負うリスクを取らなければならない。
今村は自分の暗部を無防備に曝け出したけれどもすぐには受け入れてもらえなかった。
受け入れてもらえることなく、無防備な部分を、無力な部分曝け出しただけで終わってしまった。
いや、さっきも話したようにそこで終わらないんだけど、この短編は。
それはわかっていても、そうやって終わってしまうその場そのシーンを読むのは辛い。何度読んでも。
傷だらけの無防備
石井さんが書いているように、誰かの心と融合したいと思うのなら、誰かに抱きしめてほしいと思うのなら、そんなふうに自分の心の外皮を破って無防備に無力な部分を差し出してしまう他ないのかもしれない。
それでその誰かが手を差し伸べてくれたらいいけれど、その誰かの愛を呼び起こすことなく、そのまま野晒しにされて傷つくだけの可能性の方が大きい。
そうして傷ついたとして、そんなふうに無力を無防備に晒したいと思えた相手がいたことだって奇跡的なことなんだろうけれど。
でもやっぱりいつだって求めているのはその奇跡じゃなくて、もっと大きなものなんだ。
結果的に良い経験になったね、っていうそんなおまけみたいなものでなく。
大団円で終わる奇跡が欲しいのだ。
それにはやっぱり無防備に無力な部分を晒し出していくしかないのだ。
うーーつらい。
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