いきなりですが。
「カバンの中身拝見」のコーナーが好きです。
雑誌でよくあるあれです。
ハイセンスな鞄に渋い飴が入っていたり、ポーチがいくつも入っていたり、それぞれの仕事の必需品が入っていたり。
ノートや手帳が入っていたらそれも覗きたくなります。
自分じゃない誰かの日常や生活感が好きなんですね。
自分が過ごしている日々とは違う日々を過ごしている人がいる。
自分のそれとは違う日常が存在する。
そう思うとなぜか安心するし、自分の日々も大切にしようと思えます。
本でも誰かの日常が覗けるようなものが好きです。
今日はそんな、「誰かの一日」を感じる本3冊です。
『エヴリデイ』
主人公Aは毎朝違う人間の体で目覚めます。
毎朝知らない同い年の人の体で起きて、その体でその人の日常で1日過ごして、眠ってまた起きたらまた知らない人の体に。
そんなことを繰り返して16年。
Aとしては変わらない毎日の中、ある女の子に恋をします。
運命的な出会いだったけど、恋をするのにもややこしい障壁がたくさん。
だって中身は同じでも外見は日によって、ガタイのいい男だったりやせ細った女だったり、黒人だったり白人だったりするんだもの。
主にこのAの恋を中心に物語が展開していきます。
そこももちろん面白いのですが、Aが毎日知らない人の日常を察知して、そこに馴染もうとする様子が面白い。
Aは一日だけその人として過ごすだけだから、もうちょっと後先考えずに自由に振る舞えそうなものなのにその体、宿主の日常を尊重します。
彼や彼女がどんな服装をするのか、親兄弟との関係はどんな感じか、どんな振る舞いをするのか、友達とのノリはどんな感じなのか。
身の回りの物から情報を得たり、宿主の記憶にアクセスしたりして、その宿主の日常を探ってなるべく忠実に宿主として1日を過ごします。
それがのちに恋をすることによって、自分自身のAとしての自我が抑えきれなくなってもいくんですけど、そんな時でもAはその宿主に対する罪悪感や気遣いを忘れません。
誰かの日常を覗くことが楽しいと思えるのは、自分の日常があってこそなのだと、恋をしたAを通して気づかされました。
Aは自分の体がありません。
毎日毎日違う体で過ごし、二度と同じ体にはならないから、誰かと継続した関係を築くこともない。
同じ様な日々を過ごすという安定もない。
明日がどうなるかわからない。
誰かの心の中に他の誰でもないAとしての居場所ができることもない。
もちろん私はAの様に特異な体質ではないけれど、そんなAの苦悩が痛いほど伝わってきました。
Aが時には退屈とさえ思える様な日々、A独自の日々の始まりに目覚めることができる朝がくることを、願わずにはいられませんでした。
この作品を読みながら、映画『恋はデジャ・ヴ』や、『ワン・デイ 23年のラブストーリー』を思い出しました。
この作品もいかにもハリウッドが映画化しそうだなぁとニヤリとしていたところ、すでにもう映画化しているとのこと…。
YouTubeで予告編があったので見てみたら、本を読むだけよりも、毎日違う体で目覚める毎日違う体で恋をするっていうことが、どんなことなのかがリアルに伝わってきます。
日本で公開されるのかわからないですが、公開されるならばぜひ観たいところ。
Every Day Trailer #1 (2018) | Movieclips Indie
アマゾンプライムにありましたーー。
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『イワン・デニーソヴィチの一日』
この本はスターリン暗黒時代のある一日を書いたものです。
映画化ドラマ化された『この世界の片隅に』も、戦争のさなか市井の人々を描くもので、戦争の最中にも生活があったこと、日常があったことを描いたことで話題になりましたが、
この『イワン・デニーソヴィチの一日』は強制収容所に投獄されたイワンという男の一日の始まりから終わりまでも書いたもの。
囚人達は零下20度を超える日もある過酷な寒さの中過酷な労働を強いられています。
自分のおかれている環境や政治情勢を考えないわけではないけれど、収容所の中で生活する中で、
コックを騙して手渡される粥を実際の人数より多くもらったり、
仕事をしやすい道具を誰にも取られない様に隠しておいたり、
少しでも多く具が入ったスープが自分にくる様に注意を払ったり、
と自分の日常の中で起こること、いかに日々をよりよく生きるかに工夫を凝らす方が彼の中では大事。
政治とかは自分の与り知らぬところで行われているもので、自分がどうにかできる問題ではない。
だけれども日々の生活や目の前に起きる出来事は自分である程度コントロールできる。まず目の前のこと。
今すぐにどうこうできない問題に、先の見えない未来に押しつぶされそうな時、目の前で起こる日々の細やかで手の届く問題や課題は助力になります。
置かれた環境がどれだけ過酷なものであっても、自分や周りの仲間がよりよく1日を生きられるように工夫を凝らす。
そんな彼には、与えられた1日をどんな1日にするのかは自分次第なのだと教えられます。
『富士日記』
3冊目は日記です。
作者は武田百合子。旦那さんは作家の武田泰淳で、その旦那さんから勧められて日々の記録として日記を書いたものがこの『富士日記』です。
タイトルに「富士」とある様に、富士山麓の別荘で過ごした13年間の記録なんですが、発表することは念頭になく書かれたものなので、飾り気がないんです。
そこから日々を着実に積み重ねている感じが伝わってきます。
今日食べたもの、今日買ったもの、今日会った人。
今日見かけたよくわからない虫のスケッチまで。
もちろんそれだけではなくて、本当に人の目を意識せずに書いたんだろうかというくらい秀麗で凛々しい文章で見惚れます。
花火大会で他の見物客と駐車のことでもめて喧嘩になったり、通りすがりの人に道を聞かれるも間違った道を教えてしまったことに気づき後悔したり、一面雪に覆われている地面に鍵を落としてしまってどこにあるかわからなくなってしまったけど春になったら出てきたり。
と、平凡なもの非凡なものを取り混ぜたエピソードがあって、そのどれもが淡々としていながらも美麗な文章で書かれています。
綺麗なんだけれど日常くさい。日常くさいけど綺麗。
自分が過ごす日々も、もしかしたらこんな輝きを持っているのでは、と思わせてくれる本です。