あばらの浮いた裸をふたりにさらし、うつむきながら、ここまでと悟った。
もういいじゃないかとからだに諭され、ようやく足のうらが、床とじぶんの湿度を感じる。
じろうくんも玲子さんも正直な人だ。正直が過ぎるのでびっくりする。二人を見ていると正直っていびつだと思えてくる。一度正直になってしまば、それまで収まりの良かったものが綻びはじめる。
でもじろうくんに振られて、さみ子だって自分の傷心に正直に、半年間ろくに外出せず、完全食だからと玉子サンドしか食べなかった。その結果さみ子の体中に赤い斑点ができた。
さみ子は体の正直を受け入れて、だんだんと立ち直っていく。もういいでしょう、と体にいわれて、傷ついたままでいるのを諦めるように。
じろうくんの正直も、玲子さんの正直もいびつだけど、見ようによっては崇高なものに見えてしまう、美しいものに見えてしまう。
さみ子も中野さんも、相手のそういうところも含めて好きになってしまったんだ。 そうなったらもうしょうがなくて、その気持ちに従うしかない。
いびつなだけが正直ではなくて、誰かのいびつさを受け入れてしまう正直もある。もういいでしょうと何かに言われて、諦めたように正直に受け入れてしまう。
この小説には悪い人が一人もでてこなかった。
勝手な人、不実な人、明らかな犯罪者だって出てくるのに、どうしても悪い人に見えない。
その人たちを見るさみ子の目は、その人たちの細部を、暖かく見つける。
その人たちが日々を丁寧に過ごしていること、後始末も自分の面倒もしていること。さみ子はそうした細部を見つけてしまう人だから、さみこの目を通して見る彼らは どうしても悪い人には見えなくなってしまう。
石田千さんの作品は「家へ」が芥川賞候補になったときに読んで、あまり好みじゃないと思ったけど、これはすごく好き。
ひとつ読んだだけでその作家さんの良し悪しを決めてはならん、という教訓をえた。