『おちゃめなふたご』 ブライトン
なにか児童文学を読みたい気分になってジャケ借りしたのは『おちゃめなふたご』
これが予想外に面白くなかなかしっかりした作品だった。
パットとイザベルというふたごを中心にクレア学院で巻き起こる様々な事件。
そのひとつひとつが子供ならではの無邪気やいたずら心に起因するんだけど、時々はっとするような言葉、人間心理や習性をずばりと言い当てるような言葉があるので、よくある子供時代の話では終わらない。
私が1番ぐっときたのは、シェイラとジャネットのエピソード。
いわゆる成り上がりの家出身のシェイラは、精一杯お嬢様然としていて、ジャネットの口のきき方に対してお行儀がよくないと注意する。
でもジャネットはシェイラの喋り方が丁寧すぎるのを指摘して本当の行儀を知らないのでは?と、シェイラが隠していたかったことを言い当ててしまう。
シェイラの落ち込みよう見て心配になったパットは生徒会長のウイニイ・フレッドに相談するんだけど、ウイニイの言葉がすごい。
「そう、そうなの。ほんとうはみえをはることはないのよ。でも、なにかしら自分に自信のないひとはあんなふうになることがあるのよ。」
ウイニイ・フレッドはパットをさとすようにいいました。
「それで、わたしはどうすればシェイラを助けてあげられるのかしら?」
「わたしがちゃんとシェイラと話をしてみるわ。あなたにしてほしいことは、そうね!イザベルと二人でしばらくのあいだ、シェイラのことを気をつけてやさしくしてあげて。ばかにしたり、気にしていることをいったりしないでね。シェイラがいっしょうけんめいはりめぐらしている壁をジャネットがこわしてしまったんだから。いま、とてもつらいときだと思うの。でもやさしく見守って、わかってあげる友だちがいればシェイラはたちなおれるわ。こんどのことがきっかけでほんとうの自分を取りもどすと思うのね。シェイラにチャンスをあげましょう。」
誰かが見栄のためについた嘘を見破った時に、鬼の首を取ったかのようにマウンティングするのではなく、その子のことを寛大な心でやさしく見守ろうというこの子たちがまぶしい…。
誰かの欠点を見つけて指摘して自分が有位になったような気になるのではなく、暖かく見守るって、ある程度人間関係に悩んだり失敗した後だからこそできるのではないか。
それほどに虚勢の壁を破られた人への優しさって難しいものなはず。
喧嘩をして反省したジャネットとイザベルの会話もすごい。
「あななたち、いつのまにあのいばりやのシェイラと友だちになったの?」
「ジャネット、あのひとだってかわるかもしれないじゃない。みんなでチャンスをあげましょうよ。あなたに一番痛いところをつかれて、うちのめされてるんだからみんなでだいじにしれあげなくちゃ。」
「そう、でもいちどはこういう目に会うのもシェイラのためだったのよ。」
「ええ、それはそうね。でもいまはあたたかくしてあげてほしいの。心をひろくして。」
「わかったわよ。自分でもあんなこといって悪かったと思っているの。でも、口にだしてはあやまらないわよ、またシェイラを傷つけちゃうかもしれないし。」
たしかに本当のことを言ってごめんなさいなんて、虚勢の壁を破ってごめんなさいなんて言えない…。
そのことに14才か15才そこらで知っているところがすごい。
ウイニイ・フレッドと話をして、ありのままの自分をみんなの前にだしていこうと決めてシェイラはジャネットと仲直りをします。
それを見たパットは「友だちを理解して見守るってだいじなことね」と気づきました。
誰かの欠点を発見した時にそれを指摘して糾弾するのではなく、関係を断つのでもなく、ウイニイの言うようにそれを理解してやさしく見守る。
その大切さを個性的な人物達をいきいきと書きながら、説教臭くならずに説く作者ブライトンの手腕がすごい。
ブライトンは『赤毛のアン』のモンゴメリと同時代の作家らしいのだけれど、私はこの作品で初めて知りました。
生涯に600冊以上の児童書を書き、この『おちゃめなふたご』も続編があるシリーズものだそう。読みたい。読もう。
- 作者: エニドブライトン,田村セツコ,佐伯紀美子
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 単行本
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