読書日記 「列車」
誰だってそうであろうが、見送り人にとって、この発車前の三分間ぐらい閉口なものはない。言うべきことは、すっかり言いつくしてあるし、ただむなしく顔を見合わせているばかりなのである。まして今のこの場合、私はその言うべき言葉さえなにひとつ考えつかずにいるではないか。妻がもっと才能のある女であったならば、私はまだしも気楽なのであるが、見よ、妻はテツさんの傍にいながら、むくれたような顔をして先刻から黙って立ちつくしているのである。
「列車」
どうにも自分勝手な男である。
ある事情があって上野発の列車に乗って故郷へ帰るテツさんを興味本位野次馬根性で見送りにいこうとする主人公、それをしぶる妻。
見送りにいこうと言い出したのは主人公の方なのに、会話が続かないからといって早々にテツさんの前から離れる。
自分だって言葉がでてこないくせに、妻を能無し扱い。
おい。随分だな。自分勝手すぎるぞ。
と、くさしたくもなる。
でもこれがちょっと気持ちいいかもしれない。
健全ではないような気もするけど。
ダメ人間がたくさんでてくる太宰作品の良さはここにもあるのかもしれない。
ダメ人間だけど、そこまで嫌な気分にはならない。憎悪まではいかない。
自分はそこまでダメじゃないけど、どうしてそうなってしまうのかはわかる程度のダメさ。
おい!お前ダメだな!とツッコミを入れたくなる程度の丁度いいダメさ。
ダメだなーと下に見て、ちょっとマウンティングしてしまって、自分がそうならないための抑止力にもなる。
そんな効用が太宰のダメ人間小説にはある。
今年は新潮文庫の太宰作品読破を目指しています。
これからどんどんナルシストで自分勝手でダメな人が続々と出てくるんだろうなーとちょっと楽しみ。