今年は小説以外の本をいっぱい読んで頭良くなりたい!と思ったので、手始めに「こんな風に本読めるようになりたい…」と憧れ尊敬している三宅香帆さんの『人生を狂わす名著50』で紹介されていて、気になった小説以外の本を付箋に書いて手帳に貼り付けてみた。
今年が終わることにはこの子たちとお近づきになる…あわよくば飼い馴らすぞ…。
めっちゃっくっちゃ難しい。
こんな難しいものを理解して読んでるなんてさすが三宅さんだ…などと本の内容と関係無い事ばかり考えたり、分からなすぎて無心になってただ文字追ってるだけになったり、とにかく目がすべるすべる。
難しいけど時たまわかるとこもあって、わかるとこはほとんど面白いと感じるとこなので難しい割りには付箋たっぷり。
内容はタイトル通り、「時間」って社会によって捉え方違うんだよ、たとえばこの社会では時間は未来に向けて進むまっすぐな線で、こっちの社会は一つの線分の端と端を行ったり来たりする反復運動で、こっちは一つの丸でぐるぐるしてるの、みたいなことが書いてある。私が理解した限りでは。
社会によって変わってくる時間の形について読んでいると気になってくるのは、私の時間ってどんな形してるかなってこと。
ひとつのまっすぐな線ではないと思う、線分の端と端を反復運動しているのとも違う、ひとつの閉じた円でもない。
ではどんな形なのか。
というよりそうであって欲しいと思う時間の形は、上に行くに従って少しづつ大きくなっていく螺旋状のものだ。
「時が経つのが怖い」というのは私にとって「死ぬのが怖い」というのではなく、「今のまま何も変わらずただ時間だけが経つのが怖い」だ。
時間は経っているのに何も手元に残らないのが怖い。時間が経っているということは、自分の手元にたとえどんな些細なものであったとしても経験があるはずだ。
自分の手元に経験があるのならば、そこから知恵とか教養とか生きるために必要な武器とか強さとかユーモアとかを何かしらその経験から引き出して、過去よりいい自分になっていたいし、生きるのがうまくなって生きるのが怖くなくなっている自分でいたい。
同じような経験は生きているうちに何度もするだろう。同じ感情も何度も味わうだろう。
でも私は「ここ前にも通った道だな?」と思っても、前通った時の私とは少し違った自分でいたいし、その道を前よりも楽しめる自分や違った感慨を持つようでいたい。
同じ位置ではあるけど少し上の位置にいるようなそこから少し外側に広がったような円錐型(?)の螺旋状を描いた時間の中にいたい。
そうすれば前より生きることが怖くなくなっているのではないか。
生きることが怖くないのならば死ぬのも怖くない気がする。
なんとなくだけど。今のところ根拠は見つからないけれど。
こうした自分の理想の時間について考えられてだけでもこの本読めてよかった。
岩波現代文庫はものすごく難しいんだけど、わかるところはすごい面白い。前に読んだ上田閑照の『言葉』もよかったな。これも目がすべってすべって仕方なかったけど。
難しくて仕方ない本からしか引き出せない自分の何かにたくさん出会える年になるといいな。