『消失の惑星』 ジュリア・フィリップス
離れていれば、誰でもよく見える。たまにしか会話をしなければ、相手が口にするどんな言葉も耳触りがいい。夫との電話が終わると、ナターシャはまた滑りはじめ、塀のそばにいる弟と、そのとなりで眼鏡を磨いてる母親の前を通り過ぎた。すぐそばにいる者を愛するのは難しい。
小説の中に漂う空気がとても好きだった。
幼い姉妹が行方不明になった事件を通奏低音として、境遇も年齢も違う女性たちの生きづらさを連作短編の形で書いている作品なんだけど、静謐でどこか冷え冷えとしていて悲しい。
だけどその先の希望を無闇に抱かせない穏やかな悲しみで、その筆致が心地よかった。
引用部分は、夫が潜水艦で仕事をしていて時折出張のような形で離れ離れに生活をしている女性が語り手のパートだ。
夫の居ぬまに家に訪ねに来た母親と弟、子供達と遊びに来たスケート場で、潜水艦にいる夫との甘やかな電話を終えた彼女は、その甘やかさを引きずることなく現実へと戻りまたスケートを始める。
離れているからこそ相手がよく見え、愛することも容易に感じるのだという冷え冷えとした諦念とスケート場の光景が印象的なシーンだ。
もう一つ印象深かったのは、心配性の恋人に束縛される大学生のパート。
心の奥では閉塞感を感じつつ自分を騙しながら恋人と過ごしてきたけど、その閉塞感を打ち破る新たな男性との出会いを通して、人生の新たな局面に浮かれ始める。だけど結局は何事もなかったように、新たな期待なんてなかったかのように元の恋人との生活に戻ってしまう。
新たにやってきた未経験の希望にしがみつくより、肌馴染みのいい惰性と諦念に流されてしまうその感じ。
そのスムーズな戻り方、希望の手放し方、その諦念に身に覚えがあった。
他の女性たちのパートでも灰色で波もない湖面のような空気が漂っていて、ずっとひんやりしてて平熱が低い感じで、それがすごく居心地がよかった。
これはこの作者の文体によるものなのか。
でもこのひんやりのした感じは舞台がロシアのカムチャッカ半島のせいもあるかもしれないし、書かれてる季節のせいかもしれないし、表紙のイメージに引きずられてるかもしれない。でもそれら全部がそう感じさせていて、それら全部が小説だとも思う。
「すぐそばにいる者を愛するのは難しい」という話でいうと、江國香織の『赤い長靴』を思い出す。
後輩がこの小説を読んで、「夫と一緒にいない時の方が夫のこと好きみたい」っていう一節に共感したという話をしていて、なんかわからないけどすごい大人だなぁと感じた思い出。
でも今ならわかるよ。
目の前にいる相手よりも、頭の中にいるその人、美化されたり想像の中のその人の方が好きってこと。
わかる日が来るとは思っていなかったけど。