Twitterを見ていたら「幸せな恋愛小説を教えてください」という呟きが目に入ったので、ぼんやりと考えてみたところ、西加奈子『きいろいゾウ』橋本紡『ひかりをすくう』岩井俊二『ラヴレター』が浮かんできた。
でもよく考えるとそのどれもが「幸せな恋愛小説」からはズレている…。
その人は例えとして有川浩作品を挙げていたから、たぶん私が思いついた小説ではご満足いただけないだろう。
有川浩作品はなんというか甘い。その甘さが良さだしそこが「幸せな恋愛小説」たる所以なんだろうけど、それだけでは心もとないというか不安になる。
もうちょっと苦味が欲しい。
苦々しさという重みがないと甘みに浸れず、甘々しいだけではふわふわと浮遊し、どこかへ消えてしまうような不安がある。
その点、私が思いついた恋愛小説たちはどこか苦々しくもあり甘々しい時期を過ぎたものばかりだ。
なんというか、お互いが相手に対して片想いをしているだけの噛み合っていない両想い、みたいな。もちろん気持ちが通じ合っているところはあるんだけど、どこかすれ違っていて、それをなんとなくわかりつつそんなもんだと受容しつつ一緒にいる。
完璧な両想いを諦めた先の少し苦味のある両片想いを書いている小説だと思う。
または恋愛のピークを超えて、落ち着きがではじめ、お互い不満もあり「好き」の勢いが衰えてるけど、不満の威力もそこまでないぐらいのいい感じに擦れてるといったような関係を書く小説。
恋愛のピークが過ぎたどころではなく、もう終わってしまった恋愛を書いた小説でも「幸せな恋愛小説」になっているものもある。
岩井俊二の『ラヴレター』なんかがそうだ。過去を振り返ってみて、その時気づくことのできなかった相手からの好意やかけがえのなかった時間が輝いて見えてくる、そんな幸せがある。
実はもう一つ思い浮かんでいたものに石田千『きなりの雲』がある。
でもこれは人に「幸せな恋愛小説」といっておすすめできるようなものではなく、むしろ失恋小説だ。
物語の冒頭ではもう恋が終わっていて、主人公は打ちのめされているんだけど、そこから周りの人の優しさや主人公の仕事でもある編み物によって再生していく。せっかく再生したのにまた元カレから連絡が来てまた振り回されて惑わされて疲れる。でもその疲れの中に人を好きになること、なってしまうことのちょっとしたぬくもりや幸福が沈んでいて、だから結局諦めるようにその温もりに身を委ねてしまう。
人を好きになることのままならなさと疲れと諦めとぬくもりを書いた小説で、これも私の中では幸せな恋愛小説になる。
どうやら私にとって幸せな恋愛小説というのはお互い好きの気持ちが溢れてて相手しか見えていないような状態をメインに書いたものではなく、諦めとか少しの疲労を交えて書かれている低空飛行のような恋愛小説のようだ。