『君のクイズ』小川哲
本を読んでいると、本と私の経験が重なり合い「わかる!」と思う瞬間がある。そんな瞬間があると、本と深いところで繋がりあえたような、本と私が溶け合い、本の一部が私に私が本の一部になれたようで、深い感動を覚える。
こんな瞬間を増やしていくためにも、もっと本を深く理解するためにも、沢山のことを経験したい、私は私の人生をちゃんと生きようと思える。そうなってくると、人生が先にあって本があるのか、本が先にあって人生があるのか、もうよくわからない。
私にとってのそれは本だったけど、小川哲『君のクイズ』の主人公三島玲央にとってのそれはクイズだった。
この小説は『Q−1グランプリ』というテレビの生放送で行われるクイズ番組の決勝戦から始まる。決勝戦まで勝ち抜いたのは三島玲央と本庄絆の2人。
三島は10年以上毎日クイズをやり続けてきたクイズオタク、一方の本庄は尋常ならざる暗記力を武器にテレビのクイズ番組で活躍してきたマルチタレントだ。
そんな2人が決勝戦で出会い、一進一退の攻防を展開した末、この問題に正解すれば優勝者が決まるという問題が今まさに読まれるという瞬間、本庄は解答ボタンを押し、「ママ.クリーニング小野寺よ」と答える。
問題文が一文字も読まれていない中での解答という異様な状況の中、鳴り響く正解音。本庄はなぜ解答できたのか、なぜ正解できたのか。番組と本庄が結託したヤラセではなかったのか。その疑いに答えを出すため、三島は問題文がどこまで読まれれば答えがわかるのか、クイズの正解がわかるまでにはどういった過程があるのかを考え始めるが、それはクイズとは何かを考える過程でもあった。
三島は『Q−1グランプリ』で出された問題を振り返る過程で、その問題と自分の経験が紐づいていることに気づく。幼少期に兄とラジオを聞いた思い出がなければ正解がわからなかった問題があり、大学生の時にできた彼女との思い出、その彼女との別れ、出張先での出来事、それらがあったからこそ解答でき、正解を得られた問題があった。出題された問題を振り返ることは彼の人生を振り返ることだった。
三島は本庄の0文字解答の謎を追う過程で、「クイズに正解できたときは、正解することができた理由がある。何かの経験があって、その経験のおかげで答えを口にすることができる。経験がなければ正解できない」ということに気づき、そして「クイズとは人生だ」という答えに辿りつく。
より多くのクイズに正解するために人生がある。人生を肯定するためにより多くのクイズに正解する。クイズのための人生。人生のためのクイズ。それが三島にとってのクイズであり人生なのではないか。三島は優勝することができなかった。彼にとっての目的であるそれが他者にとってはひとつの踏み台でしかなかった。だがしかし、それのために人生があり、人生はそのためにあるという人生の目的を見つけた。
『君のクイズ』は本庄がなぜ0文字解答ができたのかの謎を解くミステリーだが、三島が人生の意義、人生を容れる器、その輪郭を掴むまでのビルディングスロマンでもある。
0文字解答という問いで始まった物語は、三島玲央の「クイズとは人生だ」という解答で終わるが、この本がもうひとつ読者に問いかけるのは、「○○とは人生である」あなたにとってこの○○に当てはまるものは?という問いではないだろうか。