本読みの芋づる

芋づる式読書日記。

『52ヘルツのクジラたち』 町田そのこ

海にインクを垂らせば薄まって見えなくなってしまうように、心の中にある水が広く豊かに、海のようになれば、滲みついた孤独は薄まって匂わなくなる。そんなひとはとてもしあわせだと思う。だけど、いつまでも鼻腔をくすぐる匂いに倦みながら、濁った水を抱えて生きるひともいる。

 

辛い思いをした場所から逃げて田舎へ移住し、そこで新たに出会った人々や自然や美味しい地元の食べ物に癒されつつ、自身の過去と向き合っていくという小説は多い。

だけどこの小説は逃げた先でも人の心にずかずか踏み込んでくる人いるし、田舎独特の狭い世界でみんないい人とばかりとはいかないし、食べ物もネットで別の地方の美味しいもの取り寄せてるし、過去との向き合い方も今まさに過去の自分と同じ思いをしてる子供と向き合うっていうやり方だし、従来のそれ系の小説とは一味も二味も違う。

 

タイトルの通り、他のクジラとは違う周波数で鳴くからその声を周りのクジラに聞き取ってもらえない52ヘルツのクジラが重要モチーフになっているけど、キナコやアンさん達被害者として書かれている人だけが52ヘルツのクジラなわけじゃなく、その加害者として書かれてる人たちも、自分は52ヘルツのクジラだと思ってるんだろうなぁと感じた。

 

「誰も自分のことを理解してくれない」「なんで自分だけこんな目にあうんだ」って、被害者も加害者もどちらも思ってる。 作中では被害者として書かれた人達には声を聞いて受け止めてくれる人たちが現れたけど、加害者として書かれた人達はどうなるんだろう。

なぜそんなことをするようになったのか、根っからの悪人ではないという加害者側の事情も、うっすらとはであるけど書かれていて、加害者だから悪人だからとバッサリ切り捨ててる感じはなく加害者も52ヘルツのクジラなんだと匂わせるところがよかった。

 

 

 

都会で辛い思いをして田舎に移住し、地元の人の暖かさや美味しい食べ物に癒されていくっていう話では瀬尾まいこ『天国は遠く』を真っ先に思い出す。

自殺を図ろうと睡眠薬を大量に飲んだけど結果ぐっすり寝ただけで失敗したり、新米が美味しくて漬物だけで何杯もお代わりしてほぼお米だけでお腹いっぱいになったり、都会出身の主人公に田舎では当たり前の飲酒運転を咎められて一応改めたりしたエピソードが印象的で覚えているけど、同じ系統の話って他にも色々あって小川糸『食堂かたつむり』とかもそうだし、梨木香歩西の魔女が死んだ』もそうだよなと思ったり。

 

こんなにたくさんあると都会人の田舎幻想すごい…とか思っちゃうし、田舎側癒す側から書いた物語ってないし、それでいうと『おもひでぽろぽろ』で田舎のおばちゃんが「あんたたちは田舎を惚れて癒されるとかいうけど嫁ぐ気なんてないじゃない」的なこと言ってたのすごい。

子供心に強烈でなんでそんなひどいこと言うんだろうって思ったけど、今思い出すとものすごい的を射てる発言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 田舎に移住して自然や食べ物に癒されるわけではないけど、傷を負った人が癒される再生の物語で好きなものといえば石田千『きなりの雲』が好きです。逃げて行き着いた先での物語でいうと彩瀬まる『さいはての家』も好きです。

 

 

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『僕が殺した人と僕を殺した人』 東山彰良

友達が間違ったことをしたときに正してやるのは真の友達で、友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった

 
人を嫌な気持ちにさせたり人に憎まれることは簡単なのに、
人を暖かい気持ちさせたり人に好かれるのはその何倍も難しいのはなぜだろう。
正反対で同じ距離に位置している感情のはずなのに、前者はすぐにたどり着いて、後者はたどり着くのに何倍も時間も言葉も力量もいるように感じる。

などと考えているときに読んだので、その考えに引っ張られながら読んでしまった。

 


ユンとアガンとジェイは幼馴染。
とにかく大人に怒られそうなことばかりしてる。
でも一緒にした悪さの分だけ絆が深まっているように思えた。

友達とは仲良く、ケンカしてはいけません。
人のものは盗んではいけません。
そんな道徳的な言葉など生まれてから聞いたことないかのように、殴り合いのケンカをしたり、しっかり計画を練って盗みを働いたり。
その全部の描写がいきいきとしていて、羨ましいなぁと思ってしまったりも。

直木賞を受賞した『流』みたいな男の子の青春小説で、男子感が溢れていたけど、一緒に悪さをするほど絆が深まっていくのは男子特有のものなのだろうか。
それとももっと普遍的なものなのかな。

この3人は悪事をはたらいた思い出だけでなく、そこから生まれた悲しい記憶によっても深く結ばれているように思えて、それは幸せな記憶で結ばれているより、強固なものだった。

幸せな記憶というのは心もとなくふわふわと頭の上を漂っているようで、悲しい記憶は重みがあってしっかりと地に根差しているようだからか。

だから悲しい記憶を土台に結ばれている3人の関係は深く思えた。

 

 

僕が殺した人と僕を殺した人 (文春文庫)

僕が殺した人と僕を殺した人 (文春文庫)

 

 

『不在』 彩瀬まる

「普通じゃないって思う人生は、困ったり、寂しかったり、大変だけど、それ以外の人生ではわからないことがたくさんわかるよ。わかったものは、あなただけのものだよ。辛いことを生き延びた先で、すごくきれいな景色を見られるよ」

 
誰かに責められた訳でもないのに、そうしない理由やそれができない理由を、言い訳を必死になって考えていた。
誰に聞かれた訳でもない、自分でもうまく説明できないけれどどうしてもできない、そうするつもりもないことの言い訳を。

だけどやっぱり上手く説明できない。
それができないことの理由は言葉にできない。
できないからできない。
できないのが私なんだと思って、それ以上の言い訳は要らない。
そう思ったら、楽になった。

誰に責められた訳でもないのに必死になって言い訳を考えていたけれど、
私がきちんとした理由で説得したかったのは私だったのだと気づいた。

私は私にそれを諦めて欲しかった。私はそれが諦められなかった。
だってそれが普通だったから。
それが普通とされているから。

 


「家族だから」「家族なのに」を繰り返す主人公に違和感を感じてばかりだったけど、
そんな枕詞や前提はどうでもよくて、家族以前に1人の人としてそれをして欲しいのか、それをしたいのか、家族としてじゃなくてその人が必要なのか、そうじゃないのかなんだ。
1人の人としてその人といたいかどうかなんだ、と気付かされるラストシーンに向かうにつれて、主人公に感じていた違和感は全ての伏線が回収されたかのようにほどけて何処かへ消えた。

彩瀬さんもそうした、「間違ってる人なんだけど、自分でその間違いに気づいてない人を書きたかった」と言っていた。
ほんとに最初は違和感を感じたけど、自分もそうした間違いをしてそうだなって共感もしたりした。
彩瀬さんが書きたい話、書きたい人物がそのまま書かれていて、書き切っていてそれを受け取れるのが嬉しかった。

 

 


『くちなし』を読んで感じた「家族が一番大事」で、「家族を一番に優先すべき」ってどれくらい本当なのかな、って思った疑問に答えてくれた作品だっだ。

その2つに、普通に縛られてる人の手をとってそこから連れだしてくれる作品だと思う。

 

 

「無理に愛さなくていいし、愛されなくていいんだ。自分とは違うってそれだけを思って、憎むより先に遠ざかろう。私はそう、思う」

 

 

不在 (角川書店単行本)

不在 (角川書店単行本)

 

 

 

『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ

ひょっとしたら、日常に亀裂を見つけた人だけが世界の真実を追い求めるようになるのかしら?わたしにとっては紛れもなく亀裂と言えた、あの泣いていた男の人に出くわして以来、ある衝撃的な考えが頭から離れなくなったの。

わたしたちは幸福だけれど、この幸福の出どころを知らないということ。

 

「巡礼者たちはなぜ帰らない」

 

 

7つの物語がおさめられたSF短編集。
表題作は谷川俊太郎の詩の「万有引力のとはひき合う孤独の力」というフレーズを思い出させる。
技術が進歩すればするほど格差や分断や亀裂が進みお互い切り離されて別々の世界の住人になってしまう。

別々の2つの世界が遠ざかっていって、お互いその存在しか把握できず、どんな世界なのか人々がどんな暮らしをしてるのか想像もできないくらいに。


7つの短編それぞれから「分断と共生」や「共生と分断」といったテーマがみられたけど、一番印象に残った「分断と共生」は「感情の物性」という短編。

 

「感情の物性」は幸せ、落ち着き、恐怖、憂鬱といった感情を造形化した製品ができて流行り出す、という話。
それぞれ石鹸や石や香水などがある。


感情を自分から取り出して眺めておきたい、自分で自分の感情を選びたい、それが憂鬱や恐怖といった負の感情でもそれが自分のコントロール化にあると思えばそれを抱えて暮らしてもいける。
一回自分の中から取り出し(分断)それを眺めて把握してまた取り入れてそれと暮らしていく(共生)。
そうした感情の物性化ができればいいな。
昔、私は全ての感情をコンプリートしてしまって、あとはそれをなぞるだけ取り出すだけだと思った頃を思い出した。

 

でも今回この話を読んで思ったのが、私の感情を取り出して並べたところで、あんまりバリエーションがないというか、例えば感情に色をつけるとしたら白と黒の間の感情が私の場合10色ぐらいしかなさそう。もっとグラデーションができるぐらい細かで鮮やかなものなんじゃないか感情って。良くも悪くも。

 

わたしたちが光の速さで進めないなら
 

 

『時間の比較社会学』 真木悠介

今年は小説以外の本をいっぱい読んで頭良くなりたい!と思ったので、手始めに「こんな風に本読めるようになりたい…」と憧れ尊敬している三宅香帆さんの『人生を狂わす名著50』で紹介されていて、気になった小説以外の本を付箋に書いて手帳に貼り付けてみた。

 

人生を狂わす名著50

人生を狂わす名著50

 

 

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今年が終わることにはこの子たちとお近づきになる…あわよくば飼い馴らすぞ…。

 

まず手始めに真木悠介『時間の比較社会学』から。

 

めっちゃっくっちゃ難しい。

こんな難しいものを理解して読んでるなんてさすが三宅さんだ…などと本の内容と関係無い事ばかり考えたり、分からなすぎて無心になってただ文字追ってるだけになったり、とにかく目がすべるすべる。

 

難しいけど時たまわかるとこもあって、わかるとこはほとんど面白いと感じるとこなので難しい割りには付箋たっぷり。

 

内容はタイトル通り、「時間」って社会によって捉え方違うんだよ、たとえばこの社会では時間は未来に向けて進むまっすぐな線で、こっちの社会は一つの線分の端と端を行ったり来たりする反復運動で、こっちは一つの丸でぐるぐるしてるの、みたいなことが書いてある。私が理解した限りでは。

 

社会によって変わってくる時間の形について読んでいると気になってくるのは、私の時間ってどんな形してるかなってこと。

ひとつのまっすぐな線ではないと思う、線分の端と端を反復運動しているのとも違う、ひとつの閉じた円でもない。

ではどんな形なのか。

というよりそうであって欲しいと思う時間の形は、上に行くに従って少しづつ大きくなっていく螺旋状のものだ。

 

「時が経つのが怖い」というのは私にとって「死ぬのが怖い」というのではなく、「今のまま何も変わらずただ時間だけが経つのが怖い」だ。

 

時間は経っているのに何も手元に残らないのが怖い。時間が経っているということは、自分の手元にたとえどんな些細なものであったとしても経験があるはずだ。

自分の手元に経験があるのならば、そこから知恵とか教養とか生きるために必要な武器とか強さとかユーモアとかを何かしらその経験から引き出して、過去よりいい自分になっていたいし、生きるのがうまくなって生きるのが怖くなくなっている自分でいたい。

 

同じような経験は生きているうちに何度もするだろう。同じ感情も何度も味わうだろう。

でも私は「ここ前にも通った道だな?」と思っても、前通った時の私とは少し違った自分でいたいし、その道を前よりも楽しめる自分や違った感慨を持つようでいたい。

同じ位置ではあるけど少し上の位置にいるようなそこから少し外側に広がったような円錐型(?)の螺旋状を描いた時間の中にいたい。

そうすれば前より生きることが怖くなくなっているのではないか。

生きることが怖くないのならば死ぬのも怖くない気がする。

なんとなくだけど。今のところ根拠は見つからないけれど。

 

こうした自分の理想の時間について考えられてだけでもこの本読めてよかった。

岩波現代文庫はものすごく難しいんだけど、わかるところはすごい面白い。前に読んだ上田閑照の『言葉』もよかったな。これも目がすべってすべって仕方なかったけど。

 

 

哲学コレクション〈3〉言葉 (岩波現代文庫)

哲学コレクション〈3〉言葉 (岩波現代文庫)

  • 作者:上田 閑照
  • 発売日: 2008/02/15
  • メディア: 文庫
 

 

 

難しくて仕方ない本からしか引き出せない自分の何かにたくさん出会える年になるといいな。

『海と山のオムレツ』 カルミネ・アバーラ

ただ読むだけではなく、よい書物のページには本物の物語が大切にしまわれていることを理解していった。まるで、どんなときでもどんな所でも、蓋を開けさえすれば、酔いしれ愛でることのできる貴重な宝石箱のように。どの物語も僕の人生の一部であると同時に、普遍性を持っていた。そしておいしい食べ物と同様、頭にも心にも栄養を与えてくれるのだ。 

 

食べ物がなければ人は生きていけない。他にもなくてはならないものとして愛だとかお金だとか言われているけど、食べ物がないと人はわかりやすく生きていくことはできない。シンプルに食べなきゃ人は死ぬ。

 

そうした命に必須なものをこんな風に豊かに味わえること、なくてはならないものがヴァリエーション豊かであること、楽しみ方が幾通りもあることが人生の希望に思えた。

 

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オムレツではなくハンペンのピカタですが。

 

 

しかしこういう食べ物小説にたまにでてくる「ひとりで食べるより誰かと食べた方がおいしい」言説がこちらにもでてきて、ちょっとしょんぼりしてしまった。こういう「ひとりよりみんなで」っていう言葉がでてくるといつも微妙に痛む。

一人の方が会話もないし、味に集中できるのでは?!なんてひねた考えもでてきたり。

この小説の主人公は暖かい家庭で育って、楽しい食卓の思い出ばかりだからひとりでご飯食べるのがさみしいのかな。

家族だけでなく、この小説にでてくる人たちみんないい人ばかりで、「そんなうまい話あるだろうか?騙されているのでは?」と裏切られるシーンに備えるために身構えて読んでいたわたしは肩透かしをくらってばかりだった。

みんな素朴でいい人ばかりだった。

本のなかでぐらい騙されてもいいのに、傷つきたくないから身構えて人の善良さを見つけられず、信じられなかった。そんな自分がちょっと悲しかった。

 

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 最近コラージュにはまっている。感想書いて余ったスペースに作ったこの小説っぽいコラージュ。イタリア語書くの楽しかった。

 

 

海と山のオムレツ (新潮クレスト・ブックス)

海と山のオムレツ (新潮クレスト・ブックス)

 

 

Wi-Fiと溶けゆく時間

 

うちにはWi-Fiがない。

折に触れては何度もWi-Fi欲しいな、という願望が浮かんでは沈んでいくんだけど、どうにも踏ん切りがつかない。

何度かプランを調べたこともあった。

住んでいるアパートがWi-Fiの工事かなんかをしたらしく、それに漬け込むかのごとく何回か営業の人も来た。

その度に、いいなぁWi-FiWi-FiあったらYouTubeもアマプラも見放題だしゲームもTwitterも速度制限気にせずやりたい放題だしなぁ。

なんて思うんだけど、どうにも踏ん切りがつかない。

 

だって絶対に時間が溶ける。本当に見たいかどうかわからないYouTubeや本当に続きが気になってるかわからないドラマをだらだら見てしまう。惰性でゲームやTwitterやり続けちゃう。

そしてそんな自分にちょっと嫌気がさすのだ。

 

そして何より読みたくて買った本や読みたくて借りた本を読む時間が減る。

 

だからうちにはWi-Fiはいらん!導入せんぞ!と思ってたんだけど、昨日もWi-Fi営業の人が来た。

プランを聞かされまたしても揺れる心。

いつになったらWi-Fiに心惹かれなくなるのだろうか…。

 

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昨日から読み始めたのは最果タヒさんのエッセイ『「好き」の因数分解』。

最果さんの言葉選びの感覚や言葉と言葉の組み合わせが好きだ。

自分の中にはなかった感覚や今まで意識したことがなかった自分の心の中の片隅に触れられたような気がして新たな感覚がひらく。

 

そういう経験をしたくて、言葉によって感覚や世界を開いていきたくて本を読んでいるってところもあるんだろうな。

 

そして、新しい感覚が開くだけでなく、十分知っている感情にも新しい言葉をくれる。

たとえば、私がさっきだらだら書いただらだらスマホをいじってしまうことについて最果さんはこう書いている。

 

毎日が新鮮だと思えなくなったから、こんなにも日々がつまらないんだろうか。iPhoneを見ていると、ふと、急に何もかもが面白くなかったような気がする。楽しいことがある気がして、そしてその予感だけでずっとずっとiPhoneを触って、知りたいことを知って、ゲームをやって、ニュースを見て、そしてその予感が予感のまま、実感にはならずに消えていく。楽しいつもりでいても、それはただ「いつか楽しくなるはずだ」という気持ちで退屈をごまかしていただけなのかもしれない。

 

そうなんです。「なんかあるかも、楽しいことが」と思って見続けてしまうんです…。

そしてだいたいない。

テレビでも言ってたな。1日に満足しなかった人ほど寝る前にスマホをいじり続けるって。

 

スマホをいじり続けて溶けていってしまう時間は「楽しいことがあるはず」という予感だなんて思わなかった。でも確かにそうなんだ。

だらだら過ごしている時間に、だらだらした気持ちにこうして言葉を与えると、何か存在感が与えられて確固としたものが見えてくる。

だからと言って時間が溶けていることにも無為に過ごしていることにも意味は生まれないんだけど。

 

最果さんの文章を読んでいるともっと感覚を言葉にしたいし、もっといろんなことを感じられる人でいたいな、と思う。

 

 

「好き」の因数分解

「好き」の因数分解

  • 作者:最果 タヒ
  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)