友達が間違ったことをしたときに正してやるのは真の友達で、友達が間違ったことをしたときにとことん付き合ってやるのが兄弟分だった
人を嫌な気持ちにさせたり人に憎まれることは簡単なのに、
人を暖かい気持ちさせたり人に好かれるのはその何倍も難しいのはなぜだろう。
正反対で同じ距離に位置している感情のはずなのに、前者はすぐにたどり着いて、後者はたどり着くのに何倍も時間も言葉も力量もいるように感じる。
などと考えているときに読んだので、その考えに引っ張られながら読んでしまった。
ユンとアガンとジェイは幼馴染。
とにかく大人に怒られそうなことばかりしてる。
でも一緒にした悪さの分だけ絆が深まっているように思えた。
友達とは仲良く、ケンカしてはいけません。
人のものは盗んではいけません。
そんな道徳的な言葉など生まれてから聞いたことないかのように、殴り合いのケンカをしたり、しっかり計画を練って盗みを働いたり。
その全部の描写がいきいきとしていて、羨ましいなぁと思ってしまったりも。
直木賞を受賞した『流』みたいな男の子の青春小説で、男子感が溢れていたけど、一緒に悪さをするほど絆が深まっていくのは男子特有のものなのだろうか。
それとももっと普遍的なものなのかな。
この3人は悪事をはたらいた思い出だけでなく、そこから生まれた悲しい記憶によっても深く結ばれているように思えて、それは幸せな記憶で結ばれているより、強固なものだった。
幸せな記憶というのは心もとなくふわふわと頭の上を漂っているようで、悲しい記憶は重みがあってしっかりと地に根差しているようだからか。
だから悲しい記憶を土台に結ばれている3人の関係は深く思えた。